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南西レコード

道之島節

さて、この前にもちょろっと書いた、渡名喜島に伝承されていたという「道之島節(みちぬしまぶし)」です。

エーイ 出砂ぬ後に 島んちょいありば ぬんち渡名喜人 
ヨーハレ 旅に立ちゅが 旅に立ちゅが

(いでぃすなぬくしに しまんちょいありば ぬんちとぅなきんちゅ たびにたちゅが たびにたちゅが)

出砂島の後ろに、また人の住める島さえあれば、どうして渡名喜島の人々は島を離れることがあろうか。

エーイ グルクはいじきてぃ 慶良間眺みりば じんと我が島や 
ヨーハレ 後にまた 後になとさ

(ぐるくはいじきてぃ きらまながみりば じんとわがしまや くしにまた くしになとさ)

グルク崎をあっという間に通り過ぎて、慶良間を眺めていると、ほんとうに我が島は、ずっと後ろになっているよ。

*
出砂島=日本地理上の正式名称は入砂島(いりすなじま)。渡名喜島西方4キロに浮かぶ無人島。現在は米軍の射撃訓練場。

グルク崎=渡名喜島南端の岬。

*

仲宗根幸市先生が1982年に採集したそうです。

葬送歌としての役割を持つ、徳之島の「みち節」系の歌。この道之島節でも、人の別れが背景に見える様な切ない歌詞が歌われていたようです。

どんな旋律だったかが超気になるところ。仲宗根先生に突撃して尋ねたところ、「沖永良部島に伝わる同系列の『犬田布嶺節』とほぼ同じ」とのことでした。

*

私も以前渡名喜島に行ったときに、出会った何名かの島の人にこの歌のことを訊いてみましたが、もうすでに忘れ去られた曲っぽいです。「渡名喜ジントーヨー」や、琉球古典になっている「出砂節」のことは聞けましたが。

*

渡名喜島の集落はとても美しく、八重山の竹富島と同じく重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。しかし、竹富島みたいな観光地化は進んでおらず、静かでとても良い雰囲気です。

しかし何よりも、「ヲム」とか「ヲモの崎」とか「呼子浜」とかって地名が怖すぎてステキです。

皆さん、渡名喜島良いですよ。おススメです。


*

道之島節の二つ目の歌詞の「後にまた 後になとさ」は、「あとぅにまた あとぅになとさ」と読んでしまいたい。

*

あと、竹富島には「道の島歌」と呼ばれる歌があるんですが、そんな話はまたいずれ。
# by kooheeee | 2012-06-14 01:06 | しまうた

ググりたくない。

一応、私は読書が好きな方ではあると思うんですが。

「趣味は読書です」と云ったら、次女姉に「お前が本読んでるとこ見たことない(´д`)」と一蹴されました。南西レコードです。ええ、まあ。大した数読んでませんよそりゃ。

思い出せば、小学校低学年の頃は図鑑とかばっかり読んでいたんで、「もっと小説とか文学作品を読め!」と姉や母からお尻を叩かれてました。

そんな私が初めて小説を読む喜びを知ったのは小学3年生のとき。

2年生のときの担任の先生が、
「本を読むことは素晴らしいことです。新しい世界が開けるし、自分を深めることにもなります。だから、よいこの皆さんは、たくさん本を読んでください。本を読み始めたら、最初の内はつまらないなあ、読みたくないなあ、と思うかもしれません。けど、それを我慢して読み続けたら、必ず最後は、ああ、読んで良かったあ!と、思うことができます。だから皆さんは、お勉強をするのと同じくらいたくさん頑張って本を読んで、本の世界を楽しんでください」
と、3学期の終わりに云ったものだから。

3年生になったら、その先生の言葉に忠実に、ちゃんと本を読んでみよう、と思ったのだ。
なんて素直な良い子なんでしょう(´・ω・`)いやその前に、なんて良い先生なんだろう。

で、3年生になった4月に、学級文庫の棚から適当に一冊を選び、それをとりあえず読み通してみることにしたのです。

最初は活字を目で追うのが苦痛でしかありませんでした。しかし、幼い私は次第にちゃんと物語の世界に引き込まれ、最後は本当に読んで良かった!と、快感に浸ることができました。先生の言った通りでした。

しかしですよ。私はその私の人生における記念すべき一冊のタイトルを覚えていないんです。

外国の児童小説で、アメリカ合衆国かヨーロッパのどこかの国の田舎が舞台で、仲の良い男の子と女の子がいて、その子たちは、飼っているアヒル(合鴨?)小屋を夜に荒らすカワウソをいつか退治してやろう、と常日頃から企んでいたら、そんな2人の前に「ソウワカ」と名乗る、人語を話す見たことのない動物が現れて、仲良くなり、毎日2人と1匹は遊んで楽しく暮らすんだけど、そんなときも夜にはアヒル(合鴨?)が食い殺されていて、男の子と女の子はそのことを「ソウワカ」にも相談したりして、みんなで協力してカワウソのやつをやっつけてやろう!とかしてたら、父親がソウワカ君を見た瞬間に持っていた猟銃で彼を撃ち殺して、男の子と女の子が「なにさらしとんじゃあ、われぇ」と父に泣き叫んでたら、父親が呆れて、「お前達、『ソウワカ』を逆さまに読んでごらん?」で、おのこ・めのこが「あ」ってなる小説だったんですが誰か知りませんかね?読みにくくてすみません。

たぶん、googleで「ソウワカ」でググれば一発で解決するんだろうけど、この18年温めている疑問をネットなんかで解決したくない、という面倒臭い思いが私の心のどこかにありまして。

いつか図書館を隈なく探してみたい、と思うのです。

*

あの時の先生の言葉がまだ私の中に生きていて、今でも中途で本を読むのが面倒臭くなってきたりしたら、よく思い出すようにしてるんですよね。うん、なんて書いてたらその先生に会いたくなってきました。20年近くまともに会っていないのか。先生、お元気でしょうか。
# by kooheeee | 2012-06-11 23:38

平成24年6月6日金星の日面通過

こちらは、東京に居る友人から送られてきた金環日蝕の写真。美しいです。
平成24年6月6日金星の日面通過_a0147023_0384617.jpg

で、6月6日には金星の日面通過があったんですよね。こちらも平日だったんで、仕事の合間合間のい楽しませてもらいました。次回にこれが観れるのは105年後だそうで…。そんなこと云われたら観るしかないですよね。

いやー、天文ショーって良いですね。それを楽しみに人生頑張れます。

この次に何か楽しいのとしては。
7月13日に金星がマイナス4.5等の最大光度になって、昼間でも観察することができるそうです。
楽しみ楽しみ(・∀・)
# by kooheeee | 2012-06-10 00:46 | 自然

平成24年5月21日の金環日蝕

さてさて、今晩は。またちょっと古い話題を。

5月21日には日本各地で金環日蝕が観測できましたね。
奄美~沖縄県では部分日蝕でしたが。しかし、金環にこそならないものの、石垣市でも三日月の様な細い太陽が観測できるということで、私死ぬほど楽しみにしておりましたよ。

日蝕の最大が午前7時9分頃とのことだったんで、朝起きてすぐに白保集落を過ぎたとこにあるピーゴロ坂に向かいました。
平成24年5月21日の金環日蝕_a0147023_23532837.jpg

けっこう雲が多いです…。3年前の奄美皆既日蝕のときのことを思い出しました(・ω・)
けどまあ、景色はかなり良くて雰囲気もステキだったので、それが味わえただけでも良しとしましょう。と、思おうとしてたら…。
なんと!蝕の最大を迎える頃に、タイミング良く雲に切れ目ができてきました!写真では判り辛いですが、どんなでしょうか?↓
平成24年5月21日の金環日蝕_a0147023_2356916.jpg

太陽、かなり細いです!遮光板を通して無理やり撮ったやつ↓
平成24年5月21日の金環日蝕_a0147023_2358675.jpg

いやー、綺麗でしたよ。満足満足。
で、この後は仕事に行かないといけないんで、出勤準備をしながら部屋でyoutubeの金環中継を観てました。
平成24年5月21日の金環日蝕_a0147023_00858.jpg

うん、良かった良かった。何だか人生に軽く調味料を投入できた感じで。
この日は一日幸せに過ごせました。

私が1歳のときに、沖縄本島で金環日蝕が観測できたんですよね。母がよく私に「あんたに金環日蝕を見せるために、あのときは知花グスクに連れて行ってあげたんだよ!」とよく聞かされますが、はい。もちろんあんまり覚えてません。でもありがとう、お母さん。

皆既日蝕はもちろんそうですが、金環日蝕も生きているうちに一度は観てみたいですね。
# by kooheeee | 2012-06-08 00:09 | 自然

訃報:仲宗根幸市先生

4月24日未明、琉球弧の民謡研究の第一人者、仲宗根幸市先生が亡くなりました。享年70歳。

その日の午前5時40分頃、先生は那覇市の自宅近くの路上で交通事故に遭ってしまったとのこと。

仲宗根先生には一度だけお会いしたことがあります。私が先生のご自宅に押し掛けて話を伺っただけなんですが。

先生の著書の中に、奄美から流れてきた沖縄の歌の一つとして、渡名喜島に伝わる「道之島節」が紹介されてまして。

道之島節。徳之島が発祥と言われる「みち節」系の歌ですね(「みち節」は「二上がり節」「はやり節」「井之ぬいびがなし」とかシマによって様々な呼称を持つが、そんな話はまたいずれ)。

呼び方は数あれど、いずれのシマでも、人が病で伏しているときの伽歌として、または人が亡くなった時の哭き歌としての役割を持つ、旋律も歌詞も哀切感に満ち満ちた名曲です。

その「みち節」系の歌が徳之島の北方である奄美大島では「徳之島節」として、南方の沖永良部島では「犬田布嶺(いんたぶれー)」として伝わっているのは南西諸島の常識ではありますが。

それが沖縄諸島の渡名喜島に「道之島節」として伝わっていることを、仲宗根先生が発掘されたんですね。

で、私はその道の島節がどうしてもどうしても聴いてみたくて、先生に音源を持ってないかどうか訊きに行ったのですが。
先生もその音源を持ってはおらず。「あれは県の調査としてやってたときのだから、県が保管してるかも。ちゃんと残ってると良いけど」とのことでした。

*

先生からはその時に、その他のいろいろな話も聞きました。
先生が主宰した「しまうた研究会」のこと、同じく主宰した「マイクなし民謡コンサート」のこと、現在の南西諸島民謡界が抱える様々な問題のこと…。
いずれも興味深い話ばかりでした。もっと聞いておくんだった。後悔先に立たず。

*

仲宗根幸市先生のご冥福をお祈りいたします。


送れくれ伝馬 白潮がでぃ送れ 白潮乗ん出せば 御風頼ま

(うくれくれてんま しらしゅがでぃうくれ しらしゅぬんじゃせば みかでたぬま)

送ってください、伝馬船よ。白潮の立つところまでは。そこを乗り越えれば、御風にたのみましょう。
# by kooheeee | 2012-06-07 00:00 | しまうた

石垣島東海岸の某集落からいろいろお送りします。
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