ラムネ中
いわゆる夏(小学生の夏休みの時期)が終わる。
今日は無事にラムネ入手。よってラムネ中です。
「『ずっと』なんて無いことを、子供たちは夏から教わる」
と、いう何かのキャッチコピーがかつて存在したらしいですね。
良い言葉だ、うん。
今日は無事にラムネ入手。よってラムネ中です。
「『ずっと』なんて無いことを、子供たちは夏から教わる」
と、いう何かのキャッチコピーがかつて存在したらしいですね。
良い言葉だ、うん。
▲
by kooheeee
| 2011-08-31 23:59
未だ消えぬ蒙古斑
ああ、嫌な夜だ。実に嫌な夜だ。
私は自分の若さが憎くてたまらない。
かつて私は、若いこと及び若々しく見えることは単純にステキなことだと考え、如何にすれば自分が若く見えるかを意識してきた節がある。しかし20歳を過ぎてからは、年齢よりも若く見られることなんてはっきり言って自慢にならない。それを悟ったのが何時だったのかなんて、恥ずかしくて思い出したくもない。まったく、こんな夜は公民館の前の道に佇むワモンゴキブリにさえも敬意を表してしまいそうだ。今、私は「若さ」を最高に呪っている。
前回お伝えした通り、祖母は絶賛入院中である。しかし、医者も驚く本人の回復力、そして家族の手厚い看病により、祖母は我々の予想をはるかに絶するスピードで病床から翔び立とうとしている。桁外れの祖母の生命力の前に、数日前の家族の心配など無に帰されるかの勢いである。
そこで、祖母が退院後在宅に戻ったときの対応をどうするか、という問題が急遽我々家族の前に立ちはだかる。
いくら回復したといっても、祖母の心臓が以前より極端に弱っていることには変わりはない。心筋梗塞・心不全の不安は常に付き纏う。そして、祖母が入院前の日常生活にそのまま何も変わらず復帰した場合、その身体への負担が現在の祖母の心臓の処理能力をはるかに上回ることは誰の目にも明らかだ。
よって、誰かが祖母の傍に常に在し、その日常生活の支援及び援助を行わなければならない。しかし、そう、そんなことは当然なのだ。問題はその先だ。誰がそれをするか、ということなのだ。
前々からお伝えしている通り、祖母は誇り高きシマの老婆である。自身の行動の自立と己の居宅に対してはもの凄い執着を持っていて、身の回りの世話を他人にされることを強力に拒絶する。よって、祖母宅へのヘルパー導入はまず不可。さらに仮に、もし祖母の施設入所を家族が勝手に検討しそれが決定されたのなら、きっと祖母はブチ切れて自決することだろう。いや、私としても、家の事だけでなくシマの神事までも長年献身的に支えてきた誇り高い祖母が、理解の足りないヘルパーによってまるで赤子のように扱われるとしたら本気で我慢がならない。
祖母の身辺に触れられるのは家族のみ。それも女性限定。男性である私が食器を洗おうとしただけで怒鳴ってくるような祖母なのだから。
そして今晩、誰が今後その祖母の支援及び援助を行っていくかについての家族協議会が開催された。
※ここでちょっと確認しておきたい。
・まず、祖母は一人暮らしである(私は祖母宅近隣のアパートに居住)。
・祖母の子供たちで健在なのは、最年長の長男と、その下の妹5人である。
・その下の妹5人は皆島外に嫁いでいる。
・長男夫妻は島に居るが、シマではなく市街地に住んでいる。
・本日の家族協議会に参加したのは長男夫妻・妹4人・そして私の、計7人である。
そして、本日開催されたその家族協議会。開始当初、実に嫌な雰囲気であった。
一人が話し始めても、それをテレビを見ながら聴く者、長男伯父の幼い孫の行動に気を逸らす者、議論を主旨から遠ざけて話し出す者…。思い出しただけで虫酸が走る。その光景が「私は無理だから、誰かできる奴がやってくれ」とでも言っているかのような、主体性なき非常に混沌としたものに思えた。
その状況の下で話し合いが老牛の歩むが如くに進む中、一応は皆のa.「祖母が心配だから誰かにずっと祖母の傍で看ていてもらいたい」b.「祖母の意思は尊重したい」という考えは確認できた。
それならば、と、私は以下の考えのドロップを試みた。
①まず、91歳の老婆が「世帯主」という役割にあることに問題がある。実質それは家の運営の責任を祖母が負うことを意味するため、それが精神的負担を生み、連動して身体的負担を呼び起こすことに繋がる。
②だからといって「誰かが交代で様子を見に来たり泊まったりする」というのは問題の解決にはならない。他の場所に家を持つ者、つまり他の場所にも責任を持つべき場所がある者が祖母宅に通っても、それでは力が分散されてしまう。かなり極端に言うと、それは祖母に対して真正面から向き合っていない、家族の「逃げ」を意味する。
③つまり何が言いたいかと言うと、「誰か家族(それも女性)が祖母宅で祖母と同居しなくてはならない」。そうでないと、「他人には世話をされたくない」という祖母の意思を尊重した上での家族の「祖母を常に誰かに看ていてもらいたい」という希望を叶えることには絶対にならない。
④だから、家族はaとbの希望を満たしたいのであれば、今現在の生活を捨ててでも祖母と住むくらいの覚悟は持っておかねばならない。またまた極端に言えば、これは家族の生活を犠牲にするか、祖母の意思を犠牲にするかの問題であり、どちらも選びたいなどと言うのは家族の甘えである。
⑤しかしそうは言っても、現実的に島外に生活の基盤を持つ者がそれらを投げ打ってシマに戻って来るというのは難しいと言わざるを得ない。よって、祖母と住める可能性が最も高いのは長男夫妻である。
⑥だからと言って長男夫妻にすべてを投げ渡すのではなく、基本的に長男夫妻が祖母を看るという基盤の中で、島外に居る妹たちが交代で祖母宅に通い援助するような形にするべきである。そして島外の妹たちは長男夫妻には常に敬意を払うべきである。
そもそも、実家である祖母の家から子供たちが皆出て行っている状況が悪いのだ。人々がシマから出ることの重大さに気付いていないことが悪いのだ。これは、本来何かを犠牲にする覚悟を持ってしなければならないことなのだ…。
………と、言うことを私は自信満々に主張しようとしたのだが、その半分の意味も伝えることができなかった。
それは何故か。私は急に怖ろしくなってしまったのである。
長男も妹たちも、私の何倍もの人生経験を積んできた猛者たちである。私が主張しようとしたことなど、疾うの昔に何千回も思い巡らしたことなのではないか。本当は当たり前すぎて口にするのも憚られることなのではないのか。家族協議会の当初に皆が見せていた混沌とした光景も、人生においてのどうにもならない物事を達観した者たちの当然の態度の現れなのではないのか。つまりこれは、若い故に失うものも少ない私が、若さ故の恥ずかしい意見を述べようとしているだけのことなのではないのか。それが余りにも怖ろしかったのだ。
家族協議会は結局、長男嫁の「祖母が退院したら、私がこれからは毎日泊まるから」という発言で幕を下ろした形となった。妹たちも、それをできる限り支えて行こう、という方向でまとまった。
その後、青年会の仕事を抱えていた私は、悶々とした気分で公民館に向かった。
もしかしたら頭が混乱しているのかもしれない。しかし、私は自分の意見が間違っていたとも思わない。ただ、「若さ」という恐怖である。自身の全世界を網羅させたどんな思考も、「若さ」の前には怖ろしいほど空虚なものになる感覚を禁じ得ない。今宵私は「若さ」を呪う。
怖い。嫌だ。実に嫌な夜だ。道行くゴキブリに、敬意を通り越して愛おしさを抱いてしまいそうだ。
新暦8月ももう終わり。この時期はラムネが無性に飲みたくなる。けど夜中ではラムネを売っている場所を探すこともできないので、コカ・コーラ社のスプライト復刻缶に代わりに癒されつつ、寝る。
この作文、明日読んで恥ずかしさが余りにも過ぎたら消すかもです(笑)
私は自分の若さが憎くてたまらない。
かつて私は、若いこと及び若々しく見えることは単純にステキなことだと考え、如何にすれば自分が若く見えるかを意識してきた節がある。しかし20歳を過ぎてからは、年齢よりも若く見られることなんてはっきり言って自慢にならない。それを悟ったのが何時だったのかなんて、恥ずかしくて思い出したくもない。まったく、こんな夜は公民館の前の道に佇むワモンゴキブリにさえも敬意を表してしまいそうだ。今、私は「若さ」を最高に呪っている。
前回お伝えした通り、祖母は絶賛入院中である。しかし、医者も驚く本人の回復力、そして家族の手厚い看病により、祖母は我々の予想をはるかに絶するスピードで病床から翔び立とうとしている。桁外れの祖母の生命力の前に、数日前の家族の心配など無に帰されるかの勢いである。
そこで、祖母が退院後在宅に戻ったときの対応をどうするか、という問題が急遽我々家族の前に立ちはだかる。
いくら回復したといっても、祖母の心臓が以前より極端に弱っていることには変わりはない。心筋梗塞・心不全の不安は常に付き纏う。そして、祖母が入院前の日常生活にそのまま何も変わらず復帰した場合、その身体への負担が現在の祖母の心臓の処理能力をはるかに上回ることは誰の目にも明らかだ。
よって、誰かが祖母の傍に常に在し、その日常生活の支援及び援助を行わなければならない。しかし、そう、そんなことは当然なのだ。問題はその先だ。誰がそれをするか、ということなのだ。
前々からお伝えしている通り、祖母は誇り高きシマの老婆である。自身の行動の自立と己の居宅に対してはもの凄い執着を持っていて、身の回りの世話を他人にされることを強力に拒絶する。よって、祖母宅へのヘルパー導入はまず不可。さらに仮に、もし祖母の施設入所を家族が勝手に検討しそれが決定されたのなら、きっと祖母はブチ切れて自決することだろう。いや、私としても、家の事だけでなくシマの神事までも長年献身的に支えてきた誇り高い祖母が、理解の足りないヘルパーによってまるで赤子のように扱われるとしたら本気で我慢がならない。
祖母の身辺に触れられるのは家族のみ。それも女性限定。男性である私が食器を洗おうとしただけで怒鳴ってくるような祖母なのだから。
そして今晩、誰が今後その祖母の支援及び援助を行っていくかについての家族協議会が開催された。
※ここでちょっと確認しておきたい。
・まず、祖母は一人暮らしである(私は祖母宅近隣のアパートに居住)。
・祖母の子供たちで健在なのは、最年長の長男と、その下の妹5人である。
・その下の妹5人は皆島外に嫁いでいる。
・長男夫妻は島に居るが、シマではなく市街地に住んでいる。
・本日の家族協議会に参加したのは長男夫妻・妹4人・そして私の、計7人である。
そして、本日開催されたその家族協議会。開始当初、実に嫌な雰囲気であった。
一人が話し始めても、それをテレビを見ながら聴く者、長男伯父の幼い孫の行動に気を逸らす者、議論を主旨から遠ざけて話し出す者…。思い出しただけで虫酸が走る。その光景が「私は無理だから、誰かできる奴がやってくれ」とでも言っているかのような、主体性なき非常に混沌としたものに思えた。
その状況の下で話し合いが老牛の歩むが如くに進む中、一応は皆のa.「祖母が心配だから誰かにずっと祖母の傍で看ていてもらいたい」b.「祖母の意思は尊重したい」という考えは確認できた。
それならば、と、私は以下の考えのドロップを試みた。
①まず、91歳の老婆が「世帯主」という役割にあることに問題がある。実質それは家の運営の責任を祖母が負うことを意味するため、それが精神的負担を生み、連動して身体的負担を呼び起こすことに繋がる。
②だからといって「誰かが交代で様子を見に来たり泊まったりする」というのは問題の解決にはならない。他の場所に家を持つ者、つまり他の場所にも責任を持つべき場所がある者が祖母宅に通っても、それでは力が分散されてしまう。かなり極端に言うと、それは祖母に対して真正面から向き合っていない、家族の「逃げ」を意味する。
③つまり何が言いたいかと言うと、「誰か家族(それも女性)が祖母宅で祖母と同居しなくてはならない」。そうでないと、「他人には世話をされたくない」という祖母の意思を尊重した上での家族の「祖母を常に誰かに看ていてもらいたい」という希望を叶えることには絶対にならない。
④だから、家族はaとbの希望を満たしたいのであれば、今現在の生活を捨ててでも祖母と住むくらいの覚悟は持っておかねばならない。またまた極端に言えば、これは家族の生活を犠牲にするか、祖母の意思を犠牲にするかの問題であり、どちらも選びたいなどと言うのは家族の甘えである。
⑤しかしそうは言っても、現実的に島外に生活の基盤を持つ者がそれらを投げ打ってシマに戻って来るというのは難しいと言わざるを得ない。よって、祖母と住める可能性が最も高いのは長男夫妻である。
⑥だからと言って長男夫妻にすべてを投げ渡すのではなく、基本的に長男夫妻が祖母を看るという基盤の中で、島外に居る妹たちが交代で祖母宅に通い援助するような形にするべきである。そして島外の妹たちは長男夫妻には常に敬意を払うべきである。
そもそも、実家である祖母の家から子供たちが皆出て行っている状況が悪いのだ。人々がシマから出ることの重大さに気付いていないことが悪いのだ。これは、本来何かを犠牲にする覚悟を持ってしなければならないことなのだ…。
………と、言うことを私は自信満々に主張しようとしたのだが、その半分の意味も伝えることができなかった。
それは何故か。私は急に怖ろしくなってしまったのである。
長男も妹たちも、私の何倍もの人生経験を積んできた猛者たちである。私が主張しようとしたことなど、疾うの昔に何千回も思い巡らしたことなのではないか。本当は当たり前すぎて口にするのも憚られることなのではないのか。家族協議会の当初に皆が見せていた混沌とした光景も、人生においてのどうにもならない物事を達観した者たちの当然の態度の現れなのではないのか。つまりこれは、若い故に失うものも少ない私が、若さ故の恥ずかしい意見を述べようとしているだけのことなのではないのか。それが余りにも怖ろしかったのだ。
家族協議会は結局、長男嫁の「祖母が退院したら、私がこれからは毎日泊まるから」という発言で幕を下ろした形となった。妹たちも、それをできる限り支えて行こう、という方向でまとまった。
その後、青年会の仕事を抱えていた私は、悶々とした気分で公民館に向かった。
もしかしたら頭が混乱しているのかもしれない。しかし、私は自分の意見が間違っていたとも思わない。ただ、「若さ」という恐怖である。自身の全世界を網羅させたどんな思考も、「若さ」の前には怖ろしいほど空虚なものになる感覚を禁じ得ない。今宵私は「若さ」を呪う。
怖い。嫌だ。実に嫌な夜だ。道行くゴキブリに、敬意を通り越して愛おしさを抱いてしまいそうだ。
新暦8月ももう終わり。この時期はラムネが無性に飲みたくなる。けど夜中ではラムネを売っている場所を探すこともできないので、コカ・コーラ社のスプライト復刻缶に代わりに癒されつつ、寝る。
この作文、明日読んで恥ずかしさが余りにも過ぎたら消すかもです(笑)
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by kooheeee
| 2011-08-31 03:54
| 祖母
祖母、病院へ行く。
私の祖母は、とても誇り高い。そのプライドでもって今までなんとか元気に暮らしている。
そして、そんな祖母が現在絶賛入院中です。
8月22日
夜、ヤボ用で沖縄に行っていた私がシマに帰ってくると、祖母宅には従姉と祖母が2人でいた。
祖母はちょっとぐったりしている。なんでも今日、祖母は体調がすぐれなかったらしく従姉が病院に連れて行って来たのだとか。医者に「入院しても良いけどどうする?」と問われ、祖母はすかさず「いや、絶対家に帰る(`д´)!!」と言ったのだと。相変わらずであることよ。そして祖母の状態を受けて、用事で沖縄に行っている西表島の叔母も急遽最終便で帰ってくることにしたらしく、やがてシマに到着するとのこと。
8月23日
今日は昨日に比べ、祖母は体調が安定している様子。
しかし午後5時半過ぎに、祖母と一緒にいる西表島の叔母から電話が入る。「ばあちゃんを一緒に病院に連れて行こう。すぐにシマに帰ってきてくれ」とのこと。なんでも午後3時くらいからまた体調を崩し始めたとのこと。「私が職場からシマに帰るだけで20分はかかるよ。救急車呼んだ方が良いんじゃない?」と問うと、叔母曰く「ばあちゃんが『それだけは絶対に嫌だ(`д´)!!』と言っている」とのこと。まったく、相変わらずであることよ。
机上を散らかしっぱなしのまま職場を飛び出し、ダッシュでシマの祖母宅へ。祖母は呼吸も荒く、かなりキツそうに横になっている。これはなかなか急を要する状態だろう。救急車を呼ぶのが妥当な線だ。その方向で行けるよう、どうにか仕向けてみよう。
私「ばあちゃん、救急車の方が良いんじゃない?車に乗れないとばあちゃん病院に連れて行けないよ?」
祖母「だあ!起くしぇー(`д´)!!」
はい。無駄な抵抗してすみません。しかしシマの先輩からスマムニ(シマ言葉)で怒鳴られるのは一種の快感でもある。まあそれはさておき、叔母と2人で祖母の両脇を抱え、ベッドから起こす。
祖母「だあ、グサン(杖)むちく(`д´)!!」(杖持ってこい!)
叔母「はいはい、杖ね。これでいいね?」
祖母「うれえあらぬ(`д´)!!」
祖母は家用とお出かけ用で杖を使い分けている。
ちなみに、お出かけ用の杖は花柄で可愛い感じである。
私「いいから、早く車に行こう!」
祖母「やー、クーラー消しゃー(`д´)!!」
……という感じでどうにか祖母を家から出して車に乗せ、倒した助手席に寝かせる。
私は時速80キロを出すことを目標にして病院まで車を飛ばし、前方の車やトラクターを追い越しまくり。その間祖母は苦しそうに、数回嘔吐。息が荒い。叔母が祖母に「ばあちゃん、もうちょっとで病院に着くからね」と、ずっと話しかけている。
10分ちょっとで病院に着き、祖母は速攻でERへ。
看護師に祖母の病状の説明をし、入院手続きを進める。
祖母が医者に診てもらってる間、アクエリアスを買って叔母と飲む。気が張っているからだいぶ喉が渇いた。叔母と2人、「まったく、うちのばあちゃんは…」と呆れて苦笑する。
しばらくすると、医者が救急室から出てきた。
叔母「容態はどうでしょうか…」
医者「肺に水が溜まってしまっていて、心臓にかなり負担がかかってしまっています。一応心臓の調子を整える薬を投与しますが、この薬が効かなかった場合、延命措置となる人工呼吸器を使わないと30分もちません。延命措置について、ご家族ではどのように話されてますか?」
まじかよ。こんな時に限って、長男伯父の夫妻は親戚廻りの為に徳之島に行っている状態。他の娘たちもみんな島外に嫁いでいるのだ。
そして致命的なのは、祖母が延命措置反対派であることだ。祖父が2年前に亡くなった時も、祖母は延命させずに自宅で最期を迎えさせることをずっと望んでいた。
まさに究極の選択…。しかし、家族がほぼ居ないこんな状態では延命措置を選ぶしかない。その意思を医者に伝え、祖母は集中治療室へ。明日には私の母も含め、娘たちを皆召集することに。
そして、予想以上に祖母の容態が良くないことよりも、そんな状況でもしっかり性格を崩さない祖母に対して驚きを隠せない叔母と私であった。
8月24~25日
そしてこのタイミングで、私は1泊沖縄へ出張。最悪であるよ。
出張から帰った夜、空港から直接病院へ。幸い、祖母は25日夕方には人工呼吸器を外すことができたようだ。家族も皆祖母の傍で見守っている。
そして私が祖母に近づいて行くと、祖母の第一声は、
「やーげさーりはりゃ~(´д`)」(家に連れて行け~)
でした(笑)
8月26日
仕事が終わると、すぐに病院にいる母から呼び出される。
とりあえず病院に行って祖母に会うと、昨日よりもだいぶ元気そう。会話も普通にできている。順調に回復しているのか。とりあえず一安心。
しかし母の話によると、「脈拍数が高すぎて、心臓に負担がかなりかかっている状態。それを整える薬を使ったが、効果がない。このままだと、今晩中に心臓が止まってしまうかもしれない」との説明がさっき医者よりあったとのこと。まじか。
「ばあちゃん、あんなに普通に話しをしているのに、今晩が峠なんて…」と、涙ぐむ母。
油断してたら私も泣いてしまいそうだ。
電気ショックを与えて強制的に心臓の動きを整える方法もありはするのだそう。しかし、もう祖母の老体にそんな負担はかけられない。だから、もうあとは祖母の生命力を信じよう、と。それで話はまとまる。
祖母に心配をかけないよう、家族全員で祖母の前に立つことはせず、みんな交代で祖母と話をしに行く。祖母は「台風が来るみたいだから、家が心配さ~」と言う。まったく、こんな時にも祖母は祖母であるよ。
しかし、午後10時に近づく頃から祖母の脈拍数も血圧も正常値に近づいてきた。
この日は家族皆で病院に泊まり、いろんな話をする。
祖母はきっと大丈夫。
8月27日
朝、祖母の容態はかなり安定してきた。さすが過去に2度死線を越えてきただけある。大した生命力だ。
夕方には身体に繋がれる管の数もぐっと減った。
8月28日
今日の午前中で、祖母は特別処置室から相部屋の普通の病室へ引っ越し。顔色も良くなってきていて食欲もある。とりあえずは、本当に大丈夫そう。家族とも退院後のことについて話し合うようになった。
祖母は相変わらず「早く家に帰りたい」と言う。その為にもしっかり休んで、早く元気になりましょうね。ばあちゃんから聞いておきたいことは、まだまだ山のようにあるのだから。
…と、いうこの1週間でした。
人生山あり谷ありです。明日も頑張ろう。
そして、そんな祖母が現在絶賛入院中です。
8月22日
夜、ヤボ用で沖縄に行っていた私がシマに帰ってくると、祖母宅には従姉と祖母が2人でいた。
祖母はちょっとぐったりしている。なんでも今日、祖母は体調がすぐれなかったらしく従姉が病院に連れて行って来たのだとか。医者に「入院しても良いけどどうする?」と問われ、祖母はすかさず「いや、絶対家に帰る(`д´)!!」と言ったのだと。相変わらずであることよ。そして祖母の状態を受けて、用事で沖縄に行っている西表島の叔母も急遽最終便で帰ってくることにしたらしく、やがてシマに到着するとのこと。
8月23日
今日は昨日に比べ、祖母は体調が安定している様子。
しかし午後5時半過ぎに、祖母と一緒にいる西表島の叔母から電話が入る。「ばあちゃんを一緒に病院に連れて行こう。すぐにシマに帰ってきてくれ」とのこと。なんでも午後3時くらいからまた体調を崩し始めたとのこと。「私が職場からシマに帰るだけで20分はかかるよ。救急車呼んだ方が良いんじゃない?」と問うと、叔母曰く「ばあちゃんが『それだけは絶対に嫌だ(`д´)!!』と言っている」とのこと。まったく、相変わらずであることよ。
机上を散らかしっぱなしのまま職場を飛び出し、ダッシュでシマの祖母宅へ。祖母は呼吸も荒く、かなりキツそうに横になっている。これはなかなか急を要する状態だろう。救急車を呼ぶのが妥当な線だ。その方向で行けるよう、どうにか仕向けてみよう。
私「ばあちゃん、救急車の方が良いんじゃない?車に乗れないとばあちゃん病院に連れて行けないよ?」
祖母「だあ!起くしぇー(`д´)!!」
はい。無駄な抵抗してすみません。しかしシマの先輩からスマムニ(シマ言葉)で怒鳴られるのは一種の快感でもある。まあそれはさておき、叔母と2人で祖母の両脇を抱え、ベッドから起こす。
祖母「だあ、グサン(杖)むちく(`д´)!!」(杖持ってこい!)
叔母「はいはい、杖ね。これでいいね?」
祖母「うれえあらぬ(`д´)!!」
祖母は家用とお出かけ用で杖を使い分けている。
ちなみに、お出かけ用の杖は花柄で可愛い感じである。
私「いいから、早く車に行こう!」
祖母「やー、クーラー消しゃー(`д´)!!」
……という感じでどうにか祖母を家から出して車に乗せ、倒した助手席に寝かせる。
私は時速80キロを出すことを目標にして病院まで車を飛ばし、前方の車やトラクターを追い越しまくり。その間祖母は苦しそうに、数回嘔吐。息が荒い。叔母が祖母に「ばあちゃん、もうちょっとで病院に着くからね」と、ずっと話しかけている。
10分ちょっとで病院に着き、祖母は速攻でERへ。
看護師に祖母の病状の説明をし、入院手続きを進める。
祖母が医者に診てもらってる間、アクエリアスを買って叔母と飲む。気が張っているからだいぶ喉が渇いた。叔母と2人、「まったく、うちのばあちゃんは…」と呆れて苦笑する。
しばらくすると、医者が救急室から出てきた。
叔母「容態はどうでしょうか…」
医者「肺に水が溜まってしまっていて、心臓にかなり負担がかかってしまっています。一応心臓の調子を整える薬を投与しますが、この薬が効かなかった場合、延命措置となる人工呼吸器を使わないと30分もちません。延命措置について、ご家族ではどのように話されてますか?」
まじかよ。こんな時に限って、長男伯父の夫妻は親戚廻りの為に徳之島に行っている状態。他の娘たちもみんな島外に嫁いでいるのだ。
そして致命的なのは、祖母が延命措置反対派であることだ。祖父が2年前に亡くなった時も、祖母は延命させずに自宅で最期を迎えさせることをずっと望んでいた。
まさに究極の選択…。しかし、家族がほぼ居ないこんな状態では延命措置を選ぶしかない。その意思を医者に伝え、祖母は集中治療室へ。明日には私の母も含め、娘たちを皆召集することに。
そして、予想以上に祖母の容態が良くないことよりも、そんな状況でもしっかり性格を崩さない祖母に対して驚きを隠せない叔母と私であった。
8月24~25日
そしてこのタイミングで、私は1泊沖縄へ出張。最悪であるよ。
出張から帰った夜、空港から直接病院へ。幸い、祖母は25日夕方には人工呼吸器を外すことができたようだ。家族も皆祖母の傍で見守っている。
そして私が祖母に近づいて行くと、祖母の第一声は、
「やーげさーりはりゃ~(´д`)」(家に連れて行け~)
でした(笑)
8月26日
仕事が終わると、すぐに病院にいる母から呼び出される。
とりあえず病院に行って祖母に会うと、昨日よりもだいぶ元気そう。会話も普通にできている。順調に回復しているのか。とりあえず一安心。
しかし母の話によると、「脈拍数が高すぎて、心臓に負担がかなりかかっている状態。それを整える薬を使ったが、効果がない。このままだと、今晩中に心臓が止まってしまうかもしれない」との説明がさっき医者よりあったとのこと。まじか。
「ばあちゃん、あんなに普通に話しをしているのに、今晩が峠なんて…」と、涙ぐむ母。
油断してたら私も泣いてしまいそうだ。
電気ショックを与えて強制的に心臓の動きを整える方法もありはするのだそう。しかし、もう祖母の老体にそんな負担はかけられない。だから、もうあとは祖母の生命力を信じよう、と。それで話はまとまる。
祖母に心配をかけないよう、家族全員で祖母の前に立つことはせず、みんな交代で祖母と話をしに行く。祖母は「台風が来るみたいだから、家が心配さ~」と言う。まったく、こんな時にも祖母は祖母であるよ。
しかし、午後10時に近づく頃から祖母の脈拍数も血圧も正常値に近づいてきた。
この日は家族皆で病院に泊まり、いろんな話をする。
祖母はきっと大丈夫。
8月27日
朝、祖母の容態はかなり安定してきた。さすが過去に2度死線を越えてきただけある。大した生命力だ。
夕方には身体に繋がれる管の数もぐっと減った。
8月28日
今日の午前中で、祖母は特別処置室から相部屋の普通の病室へ引っ越し。顔色も良くなってきていて食欲もある。とりあえずは、本当に大丈夫そう。家族とも退院後のことについて話し合うようになった。
祖母は相変わらず「早く家に帰りたい」と言う。その為にもしっかり休んで、早く元気になりましょうね。ばあちゃんから聞いておきたいことは、まだまだ山のようにあるのだから。
…と、いうこの1週間でした。
人生山あり谷ありです。明日も頑張ろう。
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by kooheeee
| 2011-08-29 00:58
| 祖母
給水制限
お久しぶりです、南西レコードです。
書きたいことはいろいろありますが、とりあえずの更新で。
石垣島、ついに今夜23時から給水制限だそうです。
しかし、早ければ先週の段階で夜間断水だったかもしれないのに、よく頑張りましたよ。石垣島のダムは。
それにしても、超久しぶりの断水だ。小学生の時以来です。
8年ほど前にも一度、沖縄で断水の危機があった。確か3月頃の春先の時期。
その時は「今夜から断水します」というギリギリの日の夕方から大雨が降り始め、断水が回避された。
今回もそんな雨の神の粋な計らいがあるのかどうかわからないけど、石垣市、今日の天気予報を見ると、かなり久しぶりの雨マーク。
泣きそうなくらいの期待を抱いてしまいますが、どういうことでしょう。外はなかなか晴れています。どうなってるんだ。
まあしかし、台風11号もあと2~3日で八重山諸島に接近しそうな感じですしね。
水不足の早期解消を心から祈ります。水好きだから。

そして写真は本文とは死ぬほど関係ありませんが、数ヵ月前に名蔵辺りで見かけた人です。
さあ、今日も人生頑張ろう。
書きたいことはいろいろありますが、とりあえずの更新で。
石垣島、ついに今夜23時から給水制限だそうです。
しかし、早ければ先週の段階で夜間断水だったかもしれないのに、よく頑張りましたよ。石垣島のダムは。
それにしても、超久しぶりの断水だ。小学生の時以来です。
8年ほど前にも一度、沖縄で断水の危機があった。確か3月頃の春先の時期。
その時は「今夜から断水します」というギリギリの日の夕方から大雨が降り始め、断水が回避された。
今回もそんな雨の神の粋な計らいがあるのかどうかわからないけど、石垣市、今日の天気予報を見ると、かなり久しぶりの雨マーク。
泣きそうなくらいの期待を抱いてしまいますが、どういうことでしょう。外はなかなか晴れています。どうなってるんだ。
まあしかし、台風11号もあと2~3日で八重山諸島に接近しそうな感じですしね。
水不足の早期解消を心から祈ります。水好きだから。

そして写真は本文とは死ぬほど関係ありませんが、数ヵ月前に名蔵辺りで見かけた人です。
さあ、今日も人生頑張ろう。
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by kooheeee
| 2011-08-26 07:13
雨の神よ
今、石垣島は水が足りません。早ければ今週末から夜間の給水制限が行われるかも…という情報もあります。水好きにはちょっとたまりませんね。南西レコードです。
なんでもダムの貯水率が20%台だそうで。これは危ない。
石垣島は暑くて陽射しも超強いのにダムがあまり大きくないから…かはわからないけど、どんなに雨が降ってもすぐに水が足りなくなる印象がある。去年の10月には記録的な豪雨があったし、今年は台風が2つも来てるのに。
しかし、最近はとても暑い日々が続いているけどスコール的な雨すらほとんど降らない。去年の夏はにわか雨との闘いだったはずですが。
私の住む部屋は、ベランダも窓も南向き。南風の吹く季節は、油断したらすぐに洗濯物を濡らしてしまってた。しかも私はクーラーを持っていないが故に、よく部屋の窓を開け放しにもする。それで雨が吹き込んで、部屋の中がびしょびしょになってしまったことも度々。一度はパソコンを濡らしてしまったことも。
そういえば、その雨を警戒して雨戸や窓を閉めて外出した時ほど雨は降らなかったりする。
まるでマーフィーの法則。
それならば雨を呼ぶために、敢えて部屋の窓を開け放して外出してみよう。濡れたら困る物をわざと窓辺に置いて。私の部屋や大事な物が雨に濡れるだけで全石垣市民の水生活(?)が救われるのなら安いものだ…、と思ってそれを実行してみても、ここ数日全く効果はありません。
「不都合を生じる可能性があるものは、いずれ必ず不都合を生じる」というのがマーフィーの法則なら、これもまたそれか(笑) 雨の神様がちょっと意地悪です。
もしかしたら今日から夜間断水。けど、私は今日から数日間、ヤボ用で沖縄へ。
島の窮地を背に飛び立つのはちょっと心苦しいでもあるのだけれど。
石垣島では節水しないといけない分、沖縄で水を満喫してきたいと思います!
…なんだそれは(´д`;)(´д`;)…。
なんでもダムの貯水率が20%台だそうで。これは危ない。
石垣島は暑くて陽射しも超強いのにダムがあまり大きくないから…かはわからないけど、どんなに雨が降ってもすぐに水が足りなくなる印象がある。去年の10月には記録的な豪雨があったし、今年は台風が2つも来てるのに。
しかし、最近はとても暑い日々が続いているけどスコール的な雨すらほとんど降らない。去年の夏はにわか雨との闘いだったはずですが。
私の住む部屋は、ベランダも窓も南向き。南風の吹く季節は、油断したらすぐに洗濯物を濡らしてしまってた。しかも私はクーラーを持っていないが故に、よく部屋の窓を開け放しにもする。それで雨が吹き込んで、部屋の中がびしょびしょになってしまったことも度々。一度はパソコンを濡らしてしまったことも。
そういえば、その雨を警戒して雨戸や窓を閉めて外出した時ほど雨は降らなかったりする。
まるでマーフィーの法則。
それならば雨を呼ぶために、敢えて部屋の窓を開け放して外出してみよう。濡れたら困る物をわざと窓辺に置いて。私の部屋や大事な物が雨に濡れるだけで全石垣市民の水生活(?)が救われるのなら安いものだ…、と思ってそれを実行してみても、ここ数日全く効果はありません。
「不都合を生じる可能性があるものは、いずれ必ず不都合を生じる」というのがマーフィーの法則なら、これもまたそれか(笑) 雨の神様がちょっと意地悪です。
もしかしたら今日から夜間断水。けど、私は今日から数日間、ヤボ用で沖縄へ。
島の窮地を背に飛び立つのはちょっと心苦しいでもあるのだけれど。
石垣島では節水しないといけない分、沖縄で水を満喫してきたいと思います!
…なんだそれは(´д`;)(´д`;)…。
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by kooheeee
| 2011-08-19 07:22
久々に、祖母のいる道。

突然、「アンヤー(東隣りの家)に線香をあげに行く」と言い出し、私と母が心配しても、
「大丈夫、一人でが行く(`д´)!!」といつもの調子で言い放って家を出て行きました。
歩いて家から出るのなんてどのくらいぶりだろう?
昔は、集落内を移動中の祖母が友人たちと出会っておしゃべりしている場によく遭遇したもの。
今は伯父や叔母に連れられて月に1~2回ほど車で病院に行く以外、祖母はほとんど外出しない。
その祖母がおしゃべりしていた友人らも一人去り、二人去り。
シマにはもう、祖母の同窓生は居なくなってしまったかもしれない。
祖母が一番仲良しだったというおばあさんも、数ヶ月前に亡くなってしまった。
今回の久々の祖母の移動、盂蘭盆で帰って来た友人たちの気配を、集落の中で少しでも感じたい、という祖母の思いも多少あってのことだったかもしれません。まあ、そんな自身の切なさなどほとんど表には出そうとしない気丈な91歳(数え)の祖母ですが。
それにしても、シマの道には老婆が良く似合う。
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by kooheeee
| 2011-08-18 19:59
| 祖母
香りの漂う
先程、シマに帰って来ていたウヤピトゥ(ご先祖様)をお送りし、飾り付けの片付けも済ませました。お盆が終わって寂しいです。
家の外に出てみると、香の匂いが漂う集落を満月が照らしています。なかなか良い雰囲気です。
盂蘭盆の夜はそんな集落を徘徊しながら、何か得体の知れない霊に出くわしてみたいと思うも、なかなか叶わず(笑)今年も無事にソーラン(精霊会)は終わりました。切ない。
*
このお盆でシマに帰省していた母に、先日見つけた例の母の思い出の曲「木の葉のお船」を、youtubeで聴かせてみました。
その瞬間に、「どこでみつけてきたの!」と、驚く母。
母は幼稚園の学芸会でこの曲に乗せてお遊戯したとのこと。
で、その学芸会の為に、母は母の祖母(つまり私の曾祖母)に連れられて、
近所に住んでいる幼稚園の先生の家に何度かその踊りを練習しに行ったそうで。
練習が終わると曾祖母は、先生やその家のおばさんと長いおしゃべりを始め、
母は耐えきれずによく眠ってしまい。度々、曾祖母におぶられて家まで帰ったとのこと。
そうやっておぶられて帰る時にいつも母は、家に着く途中で目が覚めてしまったそう。
けど母は曾祖母におんぶされていたくて、いつも最後まで寝たふりをしていたのだそうで。
この曲を60年近くぶりに聴いて、母はそんな曾祖母との古い日々を一気に思い出してしまい、涙ぐんでおりました。
ちょうど曾祖母も帰ってきているはずの盂蘭盆の最中。
いやあ、本当に孝行な息子であることよ(´∀`)ハッハッハ

上に飾られている写真の、左側が曾祖母。
*木の葉のお船。
家の外に出てみると、香の匂いが漂う集落を満月が照らしています。なかなか良い雰囲気です。
盂蘭盆の夜はそんな集落を徘徊しながら、何か得体の知れない霊に出くわしてみたいと思うも、なかなか叶わず(笑)今年も無事にソーラン(精霊会)は終わりました。切ない。
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このお盆でシマに帰省していた母に、先日見つけた例の母の思い出の曲「木の葉のお船」を、youtubeで聴かせてみました。
その瞬間に、「どこでみつけてきたの!」と、驚く母。
母は幼稚園の学芸会でこの曲に乗せてお遊戯したとのこと。
で、その学芸会の為に、母は母の祖母(つまり私の曾祖母)に連れられて、
近所に住んでいる幼稚園の先生の家に何度かその踊りを練習しに行ったそうで。
練習が終わると曾祖母は、先生やその家のおばさんと長いおしゃべりを始め、
母は耐えきれずによく眠ってしまい。度々、曾祖母におぶられて家まで帰ったとのこと。
そうやっておぶられて帰る時にいつも母は、家に着く途中で目が覚めてしまったそう。
けど母は曾祖母におんぶされていたくて、いつも最後まで寝たふりをしていたのだそうで。
この曲を60年近くぶりに聴いて、母はそんな曾祖母との古い日々を一気に思い出してしまい、涙ぐんでおりました。
ちょうど曾祖母も帰ってきているはずの盂蘭盆の最中。
いやあ、本当に孝行な息子であることよ(´∀`)ハッハッハ

上に飾られている写真の、左側が曾祖母。
*木の葉のお船。
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by kooheeee
| 2011-08-15 02:00
| シマに暮らす
迎えの夜、頭痛い。
今日から盂蘭盆です。今日は迎えの日。
この盆の期間は、自分の部屋ではなくて祖母宅に泊まることに。
よって、今は祖母宅でウェブログ絶賛更新中です。
昨日の公民館更新に引き続き、これも初めての試みです(´∀`)
まあそれは良いとして。私、今日の午後3時くらいからずっと頭が痛いです。
超ガンガンします。なかなかキツいです。イヴとかを飲みたいところですが、そこはぐっとこらえ。
なんででしょうか。お盆なので、得体の知れない変な霊でも来てるんでしょうか(笑)
それもまた置いといて。
今さっき祖母宅の庭から十三夜の月を見ると、その周りに月暈(月のかさ)が。
なかなか綺麗だ。精霊会の夜だけに、けっこう幻想的。
しかし、今はカメラ持っていない。頭痛い。
お休みなさい~~。
この盆の期間は、自分の部屋ではなくて祖母宅に泊まることに。
よって、今は祖母宅でウェブログ絶賛更新中です。
昨日の公民館更新に引き続き、これも初めての試みです(´∀`)
まあそれは良いとして。私、今日の午後3時くらいからずっと頭が痛いです。
超ガンガンします。なかなかキツいです。イヴとかを飲みたいところですが、そこはぐっとこらえ。
なんででしょうか。お盆なので、得体の知れない変な霊でも来てるんでしょうか(笑)
それもまた置いといて。
今さっき祖母宅の庭から十三夜の月を見ると、その周りに月暈(月のかさ)が。
なかなか綺麗だ。精霊会の夜だけに、けっこう幻想的。
しかし、今はカメラ持っていない。頭痛い。
お休みなさい~~。
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by kooheeee
| 2011-08-12 23:58
| シマに暮らす
平成23年ソーラン前夜
明日からソーラン(精霊会)です。
ご先祖様たちがみんな帰って来られますよ(・∀・)
うちのシマではあの珍問答でおなじみのアンガマはありませんが、三日間のお盆が終わった翌日、旧暦の七月十六日に「イタスクバラ」という、厄払いの意味などがある行事が行われます(だったはず。たぶん)。
そして、そのイタスクバラの夜は村人みんなで公民館の前に集まって、いろんな踊りを踊って遊ぶんですね。

現在の公民館の様子↑
それぞれの演目を練習する青年たち。
今日はこのウェブログ、シマの公民館より更新しています。
初めての試みで、ちょっと興奮気味の私です(・∀・)
ああ、祖母宅でのお迎えの準備も頑張らないといけないですね~(´д`)
ご先祖様たちがみんな帰って来られますよ(・∀・)
うちのシマではあの珍問答でおなじみのアンガマはありませんが、三日間のお盆が終わった翌日、旧暦の七月十六日に「イタスクバラ」という、厄払いの意味などがある行事が行われます(だったはず。たぶん)。
そして、そのイタスクバラの夜は村人みんなで公民館の前に集まって、いろんな踊りを踊って遊ぶんですね。

現在の公民館の様子↑
それぞれの演目を練習する青年たち。
今日はこのウェブログ、シマの公民館より更新しています。
初めての試みで、ちょっと興奮気味の私です(・∀・)
ああ、祖母宅でのお迎えの準備も頑張らないといけないですね~(´д`)
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by kooheeee
| 2011-08-11 23:09
| シマに暮らす
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