屋慶名エイサーと、その流れを組むという石垣島真喜良のエイサーのこと。
なんか過去3回連続して祖母のことばっかり書いてるな(これとこれとこれ)。
もういっそのことブログ名を「祖母ブログ」にでも変更してしまおうか、
とはあんまり考えてません。南西茶屋です。すみません。
さて、私は沖縄のエイサーが好きなんですが、
そういえば数ヶ月前にたいへん興味深い情報を耳にしました。
石垣島に真喜良(まきら)という地区がありますね。正式な住所としては新川になるという。
で、「その真喜良は実は沖縄島・旧与那城町(現うるま市)の屋慶名からの入植によってつくられた集落であり、そのため真喜良では旧盆のときに屋慶名エイサーの型を受け継いだエイサーが踊られる」(by新川出身の後輩)
というのです!!すげー!!本当かよ!?
なんかもう、ほとんど都市伝説にしか聞こえません。未知な話過ぎて初めて聞いたときは鳥肌立った。
そもそも、その屋慶名のエイサーとはどんなものかというと。
本来エイサーを行っていなかった沖縄島・与勝半島の屋慶名集落では、明治24年から数名の有志によってエイサーが始められたそうなんですね。
その数年後に集落を東西にわけてのエイサーが踊られるようになったそうですが、
昭和10年に東の方が、浜比嘉島のあの伝説の比嘉エイサーの型を取り入れるという革命的なトリックをメイクしたそうです。ノーミスで(かどうかわからんが)。
そして戦後になって東西の踊りを統合して、パーランクーの踊りはその比嘉エイサーを取り入れた東の踊りが、手踊りの方はゆったりとした西の踊りが残されて今に伝えられているといいます。
特筆すべきはパーランクーの踊りですよ。本当にすごい。
大胆なのに一糸乱れぬ足運び、繊細かつ壮大な隊形変化、独特な囃子声、そして頭巾に陣羽織の煌びやかな衣装は見る者の心を掴んで離しません。それは「現代エイサーの雄」とも評されます。オシャレです。
同じくパーランクーを使って踊るものとして、こちらも有名な平敷屋のエイサーがありますが、それらのエイサーが「静」の世界をつくりだすのに対し、屋慶名のエイサーはその対極に当たる「動」の世界を如実に表現していると思います(あくまでも個人的な感想です)。ステキです。
私のとある友人はその屋慶名エイサーの大ファンで、彼曰く、
「屋慶名エイサーの古い映像を見たけど、踊りの型も20年ほどの時間の幅で見ると変わっているところがけっこうある」
とのこと。
20年ほどでも違いがあるなら、それより前はいったいどんな踊りだったのだろう…見てみたい。
だから、かつての屋慶名から分かれてきた真喜良のエイサーには、もしかすると屋慶名エイサーの古い踊りの動きが残っているのではないか。これが真喜良のエイサーの存在を知った時にテンションが上がった所以です。
昔の屋慶名のエイサーが、本来はエイサーを行わない400㎞離れた石垣島の土地に残されているかもしれない。なかなか壮大でロマンのある話じゃないですか。
真喜良への入植が行われたのが何年ごろのことで、どの時点の屋慶名の踊りが残されてるのか、とか、その屋慶名から持ってきたエイサーをどのように継承してるんだろうかとか、踊りにはどのような差異が現われてるんだろうかとか、そもそも本当に真喜良では屋慶名のエイサーが踊られてるのかとか、かなり気になります。本当に今まで聞いたことなかったし…。来年のお盆にはぜひ観に行ってみたいです。
しかし、なんでこうも昔のエイサーが気になるのかっていうと。
エイサーってのは基本的に、その時その時の若者たちの好みで割と頻繁に踊りが変わっていくものが多いですから。まあ例外もありますけど。
だから「あの頃とはあれが違うこれが違う」といろいろ文句を言うのも野暮ってものですよ。基本的には。ええ。僕ら自身も「若者のやりたいようにやらせてくれ!」って思いはありましたから。
けれどですよ、それが若者の傲慢になってしまうといけない。先輩方がいたから若者も今エイサーを踊れているわけですから。
だから、若者は好きなように踊りを変化させていくけど、最低限のマナーは守るべきで。で、そのマナーってのが、先輩方あるいはそれよりもずっと前の先人たちがどのような形でエイサーなどの文化を継承してきたか、そういったことに関心を持つこと。または、そんなに関心がなくともそのような姿勢を見せること。それがそのマナーなんじゃないかと。そう思うんですよね。(談・都内某所にて)
石垣島のエイサーとして明石のエイサーや双葉青年会のエイサーは知ってましたが、真喜良で屋慶名系エイサーとは…。
残念ながら私は真喜良のことには詳しくないのですが、地元とか本場の屋慶名の方々からしたら別に珍しくもないメジャーな話だったりするんでしょうか。今後ちょっとづつ調べていきたいです。
来年観に行きたいです。
もういっそのことブログ名を「祖母ブログ」にでも変更してしまおうか、
とはあんまり考えてません。南西茶屋です。すみません。
さて、私は沖縄のエイサーが好きなんですが、
そういえば数ヶ月前にたいへん興味深い情報を耳にしました。
石垣島に真喜良(まきら)という地区がありますね。正式な住所としては新川になるという。
で、「その真喜良は実は沖縄島・旧与那城町(現うるま市)の屋慶名からの入植によってつくられた集落であり、そのため真喜良では旧盆のときに屋慶名エイサーの型を受け継いだエイサーが踊られる」(by新川出身の後輩)
というのです!!すげー!!本当かよ!?
なんかもう、ほとんど都市伝説にしか聞こえません。未知な話過ぎて初めて聞いたときは鳥肌立った。
そもそも、その屋慶名のエイサーとはどんなものかというと。
本来エイサーを行っていなかった沖縄島・与勝半島の屋慶名集落では、明治24年から数名の有志によってエイサーが始められたそうなんですね。
その数年後に集落を東西にわけてのエイサーが踊られるようになったそうですが、
昭和10年に東の方が、浜比嘉島のあの伝説の比嘉エイサーの型を取り入れるという革命的なトリックをメイクしたそうです。ノーミスで(かどうかわからんが)。
そして戦後になって東西の踊りを統合して、パーランクーの踊りはその比嘉エイサーを取り入れた東の踊りが、手踊りの方はゆったりとした西の踊りが残されて今に伝えられているといいます。
特筆すべきはパーランクーの踊りですよ。本当にすごい。
大胆なのに一糸乱れぬ足運び、繊細かつ壮大な隊形変化、独特な囃子声、そして頭巾に陣羽織の煌びやかな衣装は見る者の心を掴んで離しません。それは「現代エイサーの雄」とも評されます。オシャレです。
同じくパーランクーを使って踊るものとして、こちらも有名な平敷屋のエイサーがありますが、それらのエイサーが「静」の世界をつくりだすのに対し、屋慶名のエイサーはその対極に当たる「動」の世界を如実に表現していると思います(あくまでも個人的な感想です)。ステキです。
私のとある友人はその屋慶名エイサーの大ファンで、彼曰く、
「屋慶名エイサーの古い映像を見たけど、踊りの型も20年ほどの時間の幅で見ると変わっているところがけっこうある」
とのこと。
20年ほどでも違いがあるなら、それより前はいったいどんな踊りだったのだろう…見てみたい。
だから、かつての屋慶名から分かれてきた真喜良のエイサーには、もしかすると屋慶名エイサーの古い踊りの動きが残っているのではないか。これが真喜良のエイサーの存在を知った時にテンションが上がった所以です。
昔の屋慶名のエイサーが、本来はエイサーを行わない400㎞離れた石垣島の土地に残されているかもしれない。なかなか壮大でロマンのある話じゃないですか。
真喜良への入植が行われたのが何年ごろのことで、どの時点の屋慶名の踊りが残されてるのか、とか、その屋慶名から持ってきたエイサーをどのように継承してるんだろうかとか、踊りにはどのような差異が現われてるんだろうかとか、そもそも本当に真喜良では屋慶名のエイサーが踊られてるのかとか、かなり気になります。本当に今まで聞いたことなかったし…。来年のお盆にはぜひ観に行ってみたいです。
しかし、なんでこうも昔のエイサーが気になるのかっていうと。
エイサーってのは基本的に、その時その時の若者たちの好みで割と頻繁に踊りが変わっていくものが多いですから。まあ例外もありますけど。
だから「あの頃とはあれが違うこれが違う」といろいろ文句を言うのも野暮ってものですよ。基本的には。ええ。僕ら自身も「若者のやりたいようにやらせてくれ!」って思いはありましたから。
けれどですよ、それが若者の傲慢になってしまうといけない。先輩方がいたから若者も今エイサーを踊れているわけですから。
だから、若者は好きなように踊りを変化させていくけど、最低限のマナーは守るべきで。で、そのマナーってのが、先輩方あるいはそれよりもずっと前の先人たちがどのような形でエイサーなどの文化を継承してきたか、そういったことに関心を持つこと。または、そんなに関心がなくともそのような姿勢を見せること。それがそのマナーなんじゃないかと。そう思うんですよね。(談・都内某所にて)
石垣島のエイサーとして明石のエイサーや双葉青年会のエイサーは知ってましたが、真喜良で屋慶名系エイサーとは…。
残念ながら私は真喜良のことには詳しくないのですが、地元とか本場の屋慶名の方々からしたら別に珍しくもないメジャーな話だったりするんでしょうか。今後ちょっとづつ調べていきたいです。
来年観に行きたいです。
by kooheeee
| 2009-12-04 17:03
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