南西レコード

カテゴリ:しまうた( 16 )

東れ立つ雲

奄美民謡、東れ立つ雲節。

東れ立つ雲ぬ 行き別れ見りば 加那とぅ行き別れ ありが如とぅに
(あがれたつくむぬ いきわかれみりば かなとぅいきわかれ ありがぐとぅに)

明け方、東の空に立ち昇る雲がちぎれて別れ別れるのを見れば、私もあのように寄り添っていた彼女と別れていかねばならない。

「東れ立つ雲」と表記するか、「上がれ立つ雲」と表記するか、好みが分かれるところと思われます。私は「東れ」が好きです。

youtubeか何かで武下和平か誰かの歌が聴けるかと思ったけど、みつからない。

那覇市内のネットカフェで一晩過ごしました。手元に資料も無いんで、後日追記します。
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by kooheeee | 2012-08-01 05:30 | しまうた

@那覇空港

いまぬ風雲や 村が上立ちゅり わしが殿じょさまや うにしはら 立ちゅり

なんとなく。

船の高艫に 白鳥ぬ居ちゅり 白鳥やあらぬ うなり神加那志

なんとなく。
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by kooheeee | 2012-07-31 19:06 | しまうた

渡名喜ジントーヨー

このブログに「渡名喜ジントーヨーの歌詞」という検索ワードでたどり着いた方がいらっしゃったので、載せます。
と言っても、仲宗根幸市著『島うた紀行 第三集』より引っ張ってきただけですが。


渡名喜ジントーヨー

生り島慣りてぃ 他所島に立ちゅてぃ まかいうんぶ水ぬ 
アリ ジントーヨー 不足やたら スラヨー

(うまりじまなりてぃ ゆすじまにたちゅてぃ まかいうんぶみじぬ ふすくやたら)

まかいうぶ水や 不足ちやねらぬ 吾ぬや他所島に 
アリ ジントーヨー 立ちゅる生り スラヨー

(まかいうぶみじや ふすくちやねらぬ わぬやゆすしまに たちゅる うまり)

出砂ぬ後に 島んちょいありば ぬんち渡名喜人 
アリ ジントーヨー 旅に立ちゅが スラヨー

(いでぃすなぬくしに しまんちょいありば ぬんちとぅなきんちゅ たびにたちゅが)


1.生まれ島に慣れて他所島に暮らすようになり、お椀や産水が不足だったのでしょうか。

2.お椀や産水が不足ということはないでしょう。私は他所島に暮らす定めなのです。

3.出砂(入砂島)のうしろに人の住める島があれば、どうして渡名喜島の人々は島を離れ、
  出稼ぎや移住をしなければならないのでしょうか。



カイサレー系の曲で、様々な8886の共通歌詞が歌われます。
道之島節同様、孤島の哀切感漂う歌詞がよく採用されてたっぽいです。

そしてなんか、長澤まさみ主演の映画『群青』で、この渡名喜ジントーヨーが歌われるシーンがあるそうです。観てみようかな。

ああ、何か猛烈に渡名喜島に行きたくなってきた。
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by kooheeee | 2012-07-25 01:05 | しまうた

犬田布節

徳之島節。
別名、犬田布節。

この動画で聴ける歌声が好きです。→犬田布節

オシャレです。切ないです。
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by kooheeee | 2012-07-23 21:05 | しまうた

道之島節

さて、この前にもちょろっと書いた、渡名喜島に伝承されていたという「道之島節(みちぬしまぶし)」です。

エーイ 出砂ぬ後に 島んちょいありば ぬんち渡名喜人 
ヨーハレ 旅に立ちゅが 旅に立ちゅが

(いでぃすなぬくしに しまんちょいありば ぬんちとぅなきんちゅ たびにたちゅが たびにたちゅが)

出砂島の後ろに、また人の住める島さえあれば、どうして渡名喜島の人々は島を離れることがあろうか。

エーイ グルクはいじきてぃ 慶良間眺みりば じんと我が島や 
ヨーハレ 後にまた 後になとさ

(ぐるくはいじきてぃ きらまながみりば じんとわがしまや くしにまた くしになとさ)

グルク崎をあっという間に通り過ぎて、慶良間を眺めていると、ほんとうに我が島は、ずっと後ろになっているよ。

*
出砂島=日本地理上の正式名称は入砂島(いりすなじま)。渡名喜島西方4キロに浮かぶ無人島。現在は米軍の射撃訓練場。

グルク崎=渡名喜島南端の岬。

*

仲宗根幸市先生が1982年に採集したそうです。

葬送歌としての役割を持つ、徳之島の「みち節」系の歌。この道之島節でも、人の別れが背景に見える様な切ない歌詞が歌われていたようです。

どんな旋律だったかが超気になるところ。仲宗根先生に突撃して尋ねたところ、「沖永良部島に伝わる同系列の『犬田布嶺節』とほぼ同じ」とのことでした。

*

私も以前渡名喜島に行ったときに、出会った何名かの島の人にこの歌のことを訊いてみましたが、もうすでに忘れ去られた曲っぽいです。「渡名喜ジントーヨー」や、琉球古典になっている「出砂節」のことは聞けましたが。

*

渡名喜島の集落はとても美しく、八重山の竹富島と同じく重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。しかし、竹富島みたいな観光地化は進んでおらず、静かでとても良い雰囲気です。

しかし何よりも、「ヲム」とか「ヲモの崎」とか「呼子浜」とかって地名が怖すぎてステキです。

皆さん、渡名喜島良いですよ。おススメです。


*

道之島節の二つ目の歌詞の「後にまた 後になとさ」は、「あとぅにまた あとぅになとさ」と読んでしまいたい。

*

あと、竹富島には「道の島歌」と呼ばれる歌があるんですが、そんな話はまたいずれ。
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by kooheeee | 2012-06-14 01:06 | しまうた

訃報:仲宗根幸市先生

4月24日未明、琉球弧の民謡研究の第一人者、仲宗根幸市先生が亡くなりました。享年70歳。

その日の午前5時40分頃、先生は那覇市の自宅近くの路上で交通事故に遭ってしまったとのこと。

仲宗根先生には一度だけお会いしたことがあります。私が先生のご自宅に押し掛けて話を伺っただけなんですが。

先生の著書の中に、奄美から流れてきた沖縄の歌の一つとして、渡名喜島に伝わる「道之島節」が紹介されてまして。

道之島節。徳之島が発祥と言われる「みち節」系の歌ですね(「みち節」は「二上がり節」「はやり節」「井之ぬいびがなし」とかシマによって様々な呼称を持つが、そんな話はまたいずれ)。

呼び方は数あれど、いずれのシマでも、人が病で伏しているときの伽歌として、または人が亡くなった時の哭き歌としての役割を持つ、旋律も歌詞も哀切感に満ち満ちた名曲です。

その「みち節」系の歌が徳之島の北方である奄美大島では「徳之島節」として、南方の沖永良部島では「犬田布嶺(いんたぶれー)」として伝わっているのは南西諸島の常識ではありますが。

それが沖縄諸島の渡名喜島に「道之島節」として伝わっていることを、仲宗根先生が発掘されたんですね。

で、私はその道の島節がどうしてもどうしても聴いてみたくて、先生に音源を持ってないかどうか訊きに行ったのですが。
先生もその音源を持ってはおらず。「あれは県の調査としてやってたときのだから、県が保管してるかも。ちゃんと残ってると良いけど」とのことでした。

*

先生からはその時に、その他のいろいろな話も聞きました。
先生が主宰した「しまうた研究会」のこと、同じく主宰した「マイクなし民謡コンサート」のこと、現在の南西諸島民謡界が抱える様々な問題のこと…。
いずれも興味深い話ばかりでした。もっと聞いておくんだった。後悔先に立たず。

*

仲宗根幸市先生のご冥福をお祈りいたします。


送れくれ伝馬 白潮がでぃ送れ 白潮乗ん出せば 御風頼ま

(うくれくれてんま しらしゅがでぃうくれ しらしゅぬんじゃせば みかでたぬま)

送ってください、伝馬船よ。白潮の立つところまでは。そこを乗り越えれば、御風にたのみましょう。
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by kooheeee | 2012-06-07 00:00 | しまうた

むちゃ加那

喜界や小野津ぬ 十柱むちゃ加那 あおさ海苔剥ぎが いもろむちゃ加那
(ききゃや うぬじぬ とぅばやむちゃかな あおさぬりはぎが いもろむちゃかな)


喜界島も舞台となっている、奄美を代表する歌「むちゃ加那節」(一名「うらとみ節」)の一節です。

この歌にまつわるお話はいろいろとあるようで。
最も広く知られているのは文英吉(かざり・えいきち)の『奄美民謡大鑑』で紹介された、だいたい次のような話。

薩摩藩時代、加計呂麻島の生間(いけんま)に「うらとみ」という名の美女がいた。薩摩から来た役人がうらとみを見染め、現地妻にしようとするが、うらとみはそれを拒む。当時役人の権力は絶大だった為、それにより集落が何らかの不利益を被らないか心配したうらとみの親は、彼女一人を舟に乗せて生間から脱出させる。数日後にうらとみの乗った舟は喜界島の小野津の浜に漂着し、うらとみはそこの人々に助けられる。喜界で暮らすことになったうらとみは間もなく島の男と結婚し、「むちゃ加那」という名の女の子を産む。そのむちゃ加那も成長するにつれ、母にも勝る美女となる。その美しさを友人らから妬まれたむちゃ加那は、『アオサを取りに行こう』と海に誘われ、海岸で友人らに崖から突き落とされて死んでしまう―。

…という。
そして冒頭の歌の一節は、そのむちゃ加那の友人たちがむちゃ加那を「海に行こうよ」と誘う様子を歌ったものらしいです。
喜界島は小野津の、十柱(字名)に住むむちゃ加那よ、アオサを剥ぎに行こう、行こうよむちゃ加那…。

怖い。怖すぎる…。私は小学生の頃にこの話を知って衝撃を受けましたよ。いや、怖いというより畏いのかも。うまく言葉にできない。なんというか、友人たちの行為にしても、それらが歌として伝わっていることの不思議さにしても。まあしかし、多くの民話でそうであるようにこのお話にも様々な形がありまして。これが本当なのかどうかは誰にもわかりませんけれどね。

登場人物の名前一つにしても、母うらとみの本当の名前は「あかば加那」で、「うらとみ」とは実はこのむちゃ加那の話を世間に広めた門付け芸人の名前である…とか。あと、母は喜界島では「ましゅ加那」という名で伝わっているとかなんとか。

こういう話の流動性によって頭の中を撹乱されるのも、口承文芸を楽しむ際の醍醐味の一つであると、個人的には解しています。

*

因みに。この歌は奄美大島地域の全域で広く歌われていますが、小川学夫先生によると「うらとみ節」と呼称する所が圧倒的に多い、とのことです。印象としては今は「むちゃ加那節」が市民権を勝ち取った感もありますが。

大御所・武下和平氏による「むちゃ加那節」

*
海に突き落とされたむちゃ加那の遺体は、奄美大島住用の、「青久」という集落の海岸に流れ着いたんだとか。

そう、青久(あおく)。超アツい場所ですよ、そこは。知る人ぞ知るハードコアな集落です。私は2年ほど前に一度行ったことがあるんで、その時のレポートもまたいずれ。

そこにはむちゃ加那の霊を慰める為の「むちゃ加那の碑」もありましたよ。

*

そう、昨日の喜界島とヒザラガイの話で連想してむちゃ加那のことを思ってたんですよ、私は。
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by kooheeee | 2011-12-17 08:19 | しまうた

とぅばらーま大会の

一昨日のとぅばらーま大会では、シマの先輩であるヒロミツ兄さんが最優秀賞に輝きました!
本当におめでとうございます!



とぅばらーまの歌が雨を呼んだのか、一昨日の夜からちょこちょこ雨が降ります。
今朝も久々の長めの朝雨。かなり心地よいです。

さて、取り急ぎの更新でした。今日も人生頑張ろう~。
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by kooheeee | 2011-09-12 07:32 | しまうた

とぅばらーま

「この歌を腹の底から唄うのを聞くと鬼神も泣き、英雄もハラワタも断ち、淵にいる魚も静かに泳ぐことを止める。いかに音楽を解せざる者を佳境に入らしむる魔や!その力!真のトバラマ、真のカヌシャマ!真の恋愛!真の八重山、真の濃厚なる南国、この一曲によって了解することができる」

と、いうのが八重山研究の父・喜舎場永珣によるこの曲のレビューです。凄まじい。

とぅばらーまと言えば、八重山諸島を代表する情け唄。しまうた研究の仲宗根幸市先生も
「伊波普猷が『うるわしい八重山で一生暮らしたい』と、ある書に述べているのは、きっとこのとぅばらーまを聴いて感激したからに違いない」と推測してしまうほどの、情感に富んだ名曲中の名曲。
歌・三線を嗜む人は、この曲を歌いこなすことを目標としている人も多いでしょう。


気がつけば本日は旧暦八月の十三夜。石垣市では「とぅばらーま大会」が開催されます。
うちのシマの先輩も出場するので、応援に行きたいと思います。



とぅばらーま、歌詞は星の数ほどありますが、ここ2~3年の私のお気に入り↓。

昔事ゆ 思い出しぬならぬ 年ぬ取る程 思いどぅ勝る


(むかすぃくとぅゆ うむいだしぬならぬ とすぃぬとぅるふどぅ うむいどぅまさる)

昔のことはうまく思い出すことができない。年を重ねるごとに、ただ思いだけが強くなっていく。
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by kooheeee | 2011-09-10 17:08 | しまうた

ついに。

そうそう、もうひとつだけ。

5月7日に行われた第32回奄美民謡大賞で、前山真吾さんがついに大賞受賞したそうです!


本当におめでとうございます!!
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by kooheeee | 2011-05-09 23:17 | しまうた

石垣島東海岸の某集落からいろいろお送りします。
by nanseirec
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