南西レコード

カテゴリ:祖母( 22 )

阿母

祖母が亡くなった際に一番胸が締め付けられたのは、
普段は祖母のことを「ばあちゃん」としか呼んでいなかった私の母や叔母さん方が、
「お母さん…」と声をあげて泣いていたこと。




今日の名曲→朝崎郁恵で「阿母
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by kooheeee | 2012-11-29 00:51 | 祖母

祖母、逝く。

さてさて、たいへんお久しぶりのウェブログ更新なんですが。

8月20日、祖母が亡くなりました。享年93歳(数えで)。
奇しくも、祖父が亡くなったのと同じ年齢でした。

5月に一度ICUの中で心臓が停まって、もう駄目だ、と誰もがあきらめる中、奇跡の回復を親族に見せつけた祖母。

昔から「延命措置だけはしてくれるな!私は死ぬなら絶対に家で死ぬ!」と公言していた祖母。

心臓が蘇生した後も入院は続いたけど、亡くなる前に再び容体を安定させ、最期の1週間はシマにある家で、家族と過ごすことができたのでした。


その日の午前4時、祖母を見守っていた母から祖母宅へ緊急招集の連絡が入った。
いよいよ血圧が下がってきていて、もう長くはない、とのこと。

しかしそれでも数時間は持ち堪え、祖母が亡くなったの午後2時前。
南西諸島の多くの老人がそうであるように、海の潮が引き切る時間を待つかのようにして祖母は息を引き取ったのでした。

この最期の日には、もう話しかけてもほとんど反応しなくなってしまっていた祖母。
しかし、その口から最後に吐き出されたのは、息を引き取る5分ほど前、周りで見守る自身の娘たちに伝えられた「ありがとう」という言葉だったのでした。

*

祖母はとてつもない苦労をしてきた人だった。とても強い人だった。貧しい家に生まれ、貧しい家に嫁ぎ、祖父と共に身を削るようにして8人の子供を育て上げた。
呑気で楽天的な祖父が弱って亡くなった後も、几帳面で超ストイックに、だけど温かく皆を見守る祖母が、心の拠り所として一族の中心に存在していた。

その祖母がいなくなってしまった。
私もシマに来た意味を見失ってしまいそうだ。

*

ちなみに、祖母が亡くなった平成24年8月20日は、私がこの世に生を受けて9999日目、告別式の執り行われたその翌日は、勿論ちょうど10000日目だったみたいです。

*

そして本日11月27日は、卒哭忌の法要だったのでした。
a0147023_265897.jpg

写真は在りし日の祖母。自宅の庭にて。
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by kooheeee | 2012-11-27 23:59 | 祖母

拠り所ない

さて、久々の更新になってしまいました。

なんか、ここ2週間ほど、また私のauのルーターがおかしい。
えっと、今までずっと「ルーター」と呼んでましたが、正式にはauのDATA05というらしいですね(すみません、未だによくいわかりません)。

で、その05が通常の充電器を認識してくれないわパソコンにUSBで直結しても認識されてくれないわで、充電されません。よって全然使えません。ネットできません。

新しいネット法を考えようか。

*

で、今宵はよんどころない事情でまたネットカフェに来ております。
用事ついでにウェブログ更新です。

そう、ちょっと祖母が今度こそ危ない感じなのですよ。

そんな話はいずれまた。
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by kooheeee | 2012-08-15 00:51 | 祖母

祖母、まだまだ大丈夫です。

さて、とりあえずネット環境回復の喜びの一報をアップしました、南西レコードです。
まあそれはさておき、ちょっと古日記を。

4月27日

この発表会の前日であるこの日の午前3時ごろ、祖母が救急車で病院に搬送されました。
ちょうどその数日前から私の母がシマに帰ってきてたときでして。

そして私には発表会の責任がたくさんあるからってことで、母も親戚も気を遣ってみんな私にそれを隠しておりました。

でも青年会員に病院に勤務している同級生がおり、すぐに私も知るところとなってしまったわけですが。私も気を遣って親戚皆に知らないふりをしておりました。

この日の昼間に公民館を抜け出して病院に行ってみたら、なんと祖母が入っていたのはICU。面会はできませんでした。

4月28日
まあ無事に発表会を終えまして。母に祖母のことを訊くと、「あら、あなた知ってたの」と驚いた様子。
とりあえずICUの状態が続くからまだなんとも言えない状態だが、次第に安定してきているとのこと。人工呼吸器をつけているので会話はできないが、意思の疎通は可能らしい。ICUは面会時間が限られているので、祖母には明日会いに行くことに。

4月29日
やっとICUの祖母に会うことができた。沖縄や本土に住む叔母さん達も皆病院に来ている。
薬の影響で今は意識が朦朧としている状態らしく、祖母は呼びかけてもうっすらと目を開けるだけ。回復を祈るしかない。

そして5月1日
祖母の心臓が止まりました。
その日の夕方に祖母を見に行くと、祖母は何か苦しそうにもがいている様だった。話しかけてもこちらの声が届いているかわからない。一緒にICUに入った叔母が「あんたを見て、ばあちゃんの心拍数が上がっちゃってるさ~(・∀・)しばらくそっとしときましょう」と冗談めかして言っていたが、その15分程あと、止まったそうです。祖母の心臓。
しかし、たまたま祖母のすぐ横に主治医がいたときで、考える間もなく電気ショックを与えて蘇生させることができたとのこと。そして家族は緊急招集。

主治医から、もう今晩が峠だろう、と告げられる。
先程心臓が止まった時はたまたま主治医が近くに居たから良かったが、通常の状態(特に夜中など)では医者が到着する頃にはもう蘇生も間に合わない可能性が高いとのこと。
そして、次に心臓が止まるのは今晩である可能性が極めて高いとのこと。

しかし軽く放心状態だった我々家族も、「これ以上ばあちゃんに負担はかけたくない。自然にまかせよう」とのことで意見がまとまる。
昨年も似たようなことがありましたが、今回は伯父から「お前のパソコン持ってきて、新聞に載せる謹告の文面を作成しといてくれ」と頼まれまして。

もう今度ばかりは、祖母ももうだめかと。

その晩は皆で病院に泊まった。


5月2日
とりあえず一晩は乗り切った祖母、肺に溜まっていた水が抜け、回復の可能性が出てくる。

5月3日
沖縄から駆けつけてきてたずっと祖母に付き添っていた私の長女姉から「ばあちゃんの人工呼吸器が外れて喋ってるぞ!他のチューブも外せって怒ってるぞ!」とのメールが届く。祖母、奇跡的に回復した模様。

5月4日
祖母に面会。やっと会話ができた。「私はあんたの青年会の発表会だけがずっと心配だったよー」との言葉を祖母から頂く。ありがとう、ばあちゃん。


…という4月末から5月初めにかけての祖母でした(・∀・)
その後入院が続きましたが、6月1日に退院してシマの家に帰ることができました。
祖母はまだまだ元気です。

心配してくださった皆様、本当にありがとうございました。
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by kooheeee | 2012-06-06 17:59 | 祖母

閣下

昨日、祖母宅でテレビを観てたら、NHKにデーモン小暮閣下が出てました。

祖母「何故にこの男はこんなナリをしてゐるのか(´д`)」

叔母「いや、あの、なんていうか、この人は悪魔の人で、その、」

*

デーモン閣下がバチカン市国に行ったら、カメラが突然動かなくなって1枚も写真を撮ることができなかったそうです。やはり宗教上の理由でしょうか。
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by kooheeee | 2012-02-12 07:47 | 祖母

夢の訃報

祖母がここしばらく、何度も同じような夢を見ていたそうで。

シマに住む祖母の従姉にあたるおばあさんがとても綺麗な着物を着て夢に出てきて、2人でおしゃべりをしているのだという。そして祖母は3日前にもそんな夢を見たのだと。

そして2日前の夜は、前日に見たその夢のことが気になって気になって、気にし過ぎるのも怖いから薬を飲んでぐっすり眠ったのだと。

そして昨日、この従姉おばあさんは亡くなった。97歳。来週にはカザマヤーのお祝いを控えていた。

うちの祖母も含め、90代のお年寄りはシマの中を行き来することも少ない。うちの祖母は、この従姉おばあさんが1ヵ月前から入院していたことは知らなかった、とのこと。

「年寄りが夢に出てきたらよ~、こんななるんじゃないかねーってとても心配になるよ~。怖いね~うふふふ」と、祖母はちょっと笑いながら申しておりましたよ。

「年も近くて、本当の姉妹みたいに仲良くしていた。これでもうあの家系の従姉妹たちはみんないなくなってしまったねえ」と、今宵も切なそうな祖母でありました。
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by kooheeee | 2012-01-19 21:25 | 祖母

ヒザラガイ

昨日、祖母宅で夕食時にテレビ『秘密の県民show』を観てまして。

その中で、「鹿児島県喜界町では超グロテスクな生物を皆が好んで食べる」ってのが紹介されてました。喜界町、つまりは奄美諸島の喜界島ですね。むちゃ加那伝説で有名な。

その生物とはヒザラガイのことでしたね。喜界島では「クンマー」と呼ぶらしく、島民は皆好んで食するものなんだとか。
番組に沖縄代表で出てたISSAが「沖縄でもさすがにこれは食べないですよ」と言ってましたが、それはそうでもないかと。これは自慢なんですが、私はヒザラガイは食べられる生物であるということを幼少の頃から知ってたので(`∀´)エヘン

まあ確かに今現在の沖縄においては、喜界のように皆の大好物というような扱いはこの生物に対してなされていませんしね。私も食べたことはない。

で、その時テレビでヒザラガイの映像を観てたうちの祖母が「これは『クズマー』じゃない?食べられるよね~」と一言。うん。さすがです。ステキです。

私「それで、このクズマーって美味しいの?」

祖母「いや~、身が硬いからよ、ばあちゃんはあんまり好きじゃないさ~」

みのもんた「うん!柔らかい!美味しい!(・∀・)」(試食)

祖母「え~~(´д`)」

はい。うちの祖母はそんなに好きじゃないそうです。はい。


ヒザラガイ。喜界島では「クンマー」。うちのシマでは「クズマー」。似てますね~。
やはり琉球弧は一つなんですネ☆  ←無理やりなまとめ方だ。何が「ネ☆」だ。




他のシマ及び島ではどんな呼び方がされてるのでしょうか。
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by kooheeee | 2011-12-16 23:05 | 祖母

未だ消えぬ蒙古斑

ああ、嫌な夜だ。実に嫌な夜だ。

私は自分の若さが憎くてたまらない。
かつて私は、若いこと及び若々しく見えることは単純にステキなことだと考え、如何にすれば自分が若く見えるかを意識してきた節がある。しかし20歳を過ぎてからは、年齢よりも若く見られることなんてはっきり言って自慢にならない。それを悟ったのが何時だったのかなんて、恥ずかしくて思い出したくもない。まったく、こんな夜は公民館の前の道に佇むワモンゴキブリにさえも敬意を表してしまいそうだ。今、私は「若さ」を最高に呪っている。

前回お伝えした通り、祖母は絶賛入院中である。しかし、医者も驚く本人の回復力、そして家族の手厚い看病により、祖母は我々の予想をはるかに絶するスピードで病床から翔び立とうとしている。桁外れの祖母の生命力の前に、数日前の家族の心配など無に帰されるかの勢いである。

そこで、祖母が退院後在宅に戻ったときの対応をどうするか、という問題が急遽我々家族の前に立ちはだかる。

いくら回復したといっても、祖母の心臓が以前より極端に弱っていることには変わりはない。心筋梗塞・心不全の不安は常に付き纏う。そして、祖母が入院前の日常生活にそのまま何も変わらず復帰した場合、その身体への負担が現在の祖母の心臓の処理能力をはるかに上回ることは誰の目にも明らかだ。

よって、誰かが祖母の傍に常に在し、その日常生活の支援及び援助を行わなければならない。しかし、そう、そんなことは当然なのだ。問題はその先だ。誰がそれをするか、ということなのだ。

前々からお伝えしている通り、祖母は誇り高きシマの老婆である。自身の行動の自立と己の居宅に対してはもの凄い執着を持っていて、身の回りの世話を他人にされることを強力に拒絶する。よって、祖母宅へのヘルパー導入はまず不可。さらに仮に、もし祖母の施設入所を家族が勝手に検討しそれが決定されたのなら、きっと祖母はブチ切れて自決することだろう。いや、私としても、家の事だけでなくシマの神事までも長年献身的に支えてきた誇り高い祖母が、理解の足りないヘルパーによってまるで赤子のように扱われるとしたら本気で我慢がならない。

祖母の身辺に触れられるのは家族のみ。それも女性限定。男性である私が食器を洗おうとしただけで怒鳴ってくるような祖母なのだから。

そして今晩、誰が今後その祖母の支援及び援助を行っていくかについての家族協議会が開催された。

※ここでちょっと確認しておきたい。
・まず、祖母は一人暮らしである(私は祖母宅近隣のアパートに居住)。
・祖母の子供たちで健在なのは、最年長の長男と、その下の妹5人である。
・その下の妹5人は皆島外に嫁いでいる。
・長男夫妻は島に居るが、シマではなく市街地に住んでいる。
・本日の家族協議会に参加したのは長男夫妻・妹4人・そして私の、計7人である。

そして、本日開催されたその家族協議会。開始当初、実に嫌な雰囲気であった。
一人が話し始めても、それをテレビを見ながら聴く者、長男伯父の幼い孫の行動に気を逸らす者、議論を主旨から遠ざけて話し出す者…。思い出しただけで虫酸が走る。その光景が「私は無理だから、誰かできる奴がやってくれ」とでも言っているかのような、主体性なき非常に混沌としたものに思えた。

その状況の下で話し合いが老牛の歩むが如くに進む中、一応は皆のa.「祖母が心配だから誰かにずっと祖母の傍で看ていてもらいたい」b.「祖母の意思は尊重したい」という考えは確認できた。

それならば、と、私は以下の考えのドロップを試みた。

①まず、91歳の老婆が「世帯主」という役割にあることに問題がある。実質それは家の運営の責任を祖母が負うことを意味するため、それが精神的負担を生み、連動して身体的負担を呼び起こすことに繋がる。

②だからといって「誰かが交代で様子を見に来たり泊まったりする」というのは問題の解決にはならない。他の場所に家を持つ者、つまり他の場所にも責任を持つべき場所がある者が祖母宅に通っても、それでは力が分散されてしまう。かなり極端に言うと、それは祖母に対して真正面から向き合っていない、家族の「逃げ」を意味する。

③つまり何が言いたいかと言うと、「誰か家族(それも女性)が祖母宅で祖母と同居しなくてはならない」。そうでないと、「他人には世話をされたくない」という祖母の意思を尊重した上での家族の「祖母を常に誰かに看ていてもらいたい」という希望を叶えることには絶対にならない。

④だから、家族はaとbの希望を満たしたいのであれば、今現在の生活を捨ててでも祖母と住むくらいの覚悟は持っておかねばならない。またまた極端に言えば、これは家族の生活を犠牲にするか、祖母の意思を犠牲にするかの問題であり、どちらも選びたいなどと言うのは家族の甘えである。

⑤しかしそうは言っても、現実的に島外に生活の基盤を持つ者がそれらを投げ打ってシマに戻って来るというのは難しいと言わざるを得ない。よって、祖母と住める可能性が最も高いのは長男夫妻である。

⑥だからと言って長男夫妻にすべてを投げ渡すのではなく、基本的に長男夫妻が祖母を看るという基盤の中で、島外に居る妹たちが交代で祖母宅に通い援助するような形にするべきである。そして島外の妹たちは長男夫妻には常に敬意を払うべきである。

そもそも、実家である祖母の家から子供たちが皆出て行っている状況が悪いのだ。人々がシマから出ることの重大さに気付いていないことが悪いのだ。これは、本来何かを犠牲にする覚悟を持ってしなければならないことなのだ…。

………と、言うことを私は自信満々に主張しようとしたのだが、その半分の意味も伝えることができなかった。

それは何故か。私は急に怖ろしくなってしまったのである。
長男も妹たちも、私の何倍もの人生経験を積んできた猛者たちである。私が主張しようとしたことなど、疾うの昔に何千回も思い巡らしたことなのではないか。本当は当たり前すぎて口にするのも憚られることなのではないのか。家族協議会の当初に皆が見せていた混沌とした光景も、人生においてのどうにもならない物事を達観した者たちの当然の態度の現れなのではないのか。つまりこれは、若い故に失うものも少ない私が、若さ故の恥ずかしい意見を述べようとしているだけのことなのではないのか。それが余りにも怖ろしかったのだ。

家族協議会は結局、長男嫁の「祖母が退院したら、私がこれからは毎日泊まるから」という発言で幕を下ろした形となった。妹たちも、それをできる限り支えて行こう、という方向でまとまった。


その後、青年会の仕事を抱えていた私は、悶々とした気分で公民館に向かった。

もしかしたら頭が混乱しているのかもしれない。しかし、私は自分の意見が間違っていたとも思わない。ただ、「若さ」という恐怖である。自身の全世界を網羅させたどんな思考も、「若さ」の前には怖ろしいほど空虚なものになる感覚を禁じ得ない。今宵私は「若さ」を呪う。

怖い。嫌だ。実に嫌な夜だ。道行くゴキブリに、敬意を通り越して愛おしさを抱いてしまいそうだ。

新暦8月ももう終わり。この時期はラムネが無性に飲みたくなる。けど夜中ではラムネを売っている場所を探すこともできないので、コカ・コーラ社のスプライト復刻缶に代わりに癒されつつ、寝る。


この作文、明日読んで恥ずかしさが余りにも過ぎたら消すかもです(笑)
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by kooheeee | 2011-08-31 03:54 | 祖母

祖母、病院へ行く。

私の祖母は、とても誇り高い。そのプライドでもって今までなんとか元気に暮らしている。
そして、そんな祖母が現在絶賛入院中です。

8月22日
夜、ヤボ用で沖縄に行っていた私がシマに帰ってくると、祖母宅には従姉と祖母が2人でいた。
祖母はちょっとぐったりしている。なんでも今日、祖母は体調がすぐれなかったらしく従姉が病院に連れて行って来たのだとか。医者に「入院しても良いけどどうする?」と問われ、祖母はすかさず「いや、絶対家に帰る(`д´)!!」と言ったのだと。相変わらずであることよ。そして祖母の状態を受けて、用事で沖縄に行っている西表島の叔母も急遽最終便で帰ってくることにしたらしく、やがてシマに到着するとのこと。

8月23日

今日は昨日に比べ、祖母は体調が安定している様子。
しかし午後5時半過ぎに、祖母と一緒にいる西表島の叔母から電話が入る。「ばあちゃんを一緒に病院に連れて行こう。すぐにシマに帰ってきてくれ」とのこと。なんでも午後3時くらいからまた体調を崩し始めたとのこと。「私が職場からシマに帰るだけで20分はかかるよ。救急車呼んだ方が良いんじゃない?」と問うと、叔母曰く「ばあちゃんが『それだけは絶対に嫌だ(`д´)!!』と言っている」とのこと。まったく、相変わらずであることよ。

机上を散らかしっぱなしのまま職場を飛び出し、ダッシュでシマの祖母宅へ。祖母は呼吸も荒く、かなりキツそうに横になっている。これはなかなか急を要する状態だろう。救急車を呼ぶのが妥当な線だ。その方向で行けるよう、どうにか仕向けてみよう。
私「ばあちゃん、救急車の方が良いんじゃない?車に乗れないとばあちゃん病院に連れて行けないよ?」
祖母「だあ!起くしぇー(`д´)!!」
はい。無駄な抵抗してすみません。しかしシマの先輩からスマムニ(シマ言葉)で怒鳴られるのは一種の快感でもある。まあそれはさておき、叔母と2人で祖母の両脇を抱え、ベッドから起こす。
祖母「だあ、グサン(杖)むちく(`д´)!!」(杖持ってこい!)
叔母「はいはい、杖ね。これでいいね?」
祖母「うれえあらぬ(`д´)!!」
祖母は家用とお出かけ用で杖を使い分けている。
ちなみに、お出かけ用の杖は花柄で可愛い感じである。
私「いいから、早く車に行こう!」
祖母「やー、クーラー消しゃー(`д´)!!」
……という感じでどうにか祖母を家から出して車に乗せ、倒した助手席に寝かせる。
私は時速80キロを出すことを目標にして病院まで車を飛ばし、前方の車やトラクターを追い越しまくり。その間祖母は苦しそうに、数回嘔吐。息が荒い。叔母が祖母に「ばあちゃん、もうちょっとで病院に着くからね」と、ずっと話しかけている。

10分ちょっとで病院に着き、祖母は速攻でERへ。
看護師に祖母の病状の説明をし、入院手続きを進める。
祖母が医者に診てもらってる間、アクエリアスを買って叔母と飲む。気が張っているからだいぶ喉が渇いた。叔母と2人、「まったく、うちのばあちゃんは…」と呆れて苦笑する。

しばらくすると、医者が救急室から出てきた。
叔母「容態はどうでしょうか…」
医者「肺に水が溜まってしまっていて、心臓にかなり負担がかかってしまっています。一応心臓の調子を整える薬を投与しますが、この薬が効かなかった場合、延命措置となる人工呼吸器を使わないと30分もちません。延命措置について、ご家族ではどのように話されてますか?」
まじかよ。こんな時に限って、長男伯父の夫妻は親戚廻りの為に徳之島に行っている状態。他の娘たちもみんな島外に嫁いでいるのだ。

そして致命的なのは、祖母が延命措置反対派であることだ。祖父が2年前に亡くなった時も、祖母は延命させずに自宅で最期を迎えさせることをずっと望んでいた。

まさに究極の選択…。しかし、家族がほぼ居ないこんな状態では延命措置を選ぶしかない。その意思を医者に伝え、祖母は集中治療室へ。明日には私の母も含め、娘たちを皆召集することに。

そして、予想以上に祖母の容態が良くないことよりも、そんな状況でもしっかり性格を崩さない祖母に対して驚きを隠せない叔母と私であった。


8月24~25日

そしてこのタイミングで、私は1泊沖縄へ出張。最悪であるよ。
出張から帰った夜、空港から直接病院へ。幸い、祖母は25日夕方には人工呼吸器を外すことができたようだ。家族も皆祖母の傍で見守っている。

そして私が祖母に近づいて行くと、祖母の第一声は、
「やーげさーりはりゃ~(´д`)」(家に連れて行け~)
でした(笑)


8月26日
仕事が終わると、すぐに病院にいる母から呼び出される。
とりあえず病院に行って祖母に会うと、昨日よりもだいぶ元気そう。会話も普通にできている。順調に回復しているのか。とりあえず一安心。
しかし母の話によると、「脈拍数が高すぎて、心臓に負担がかなりかかっている状態。それを整える薬を使ったが、効果がない。このままだと、今晩中に心臓が止まってしまうかもしれない」との説明がさっき医者よりあったとのこと。まじか。
「ばあちゃん、あんなに普通に話しをしているのに、今晩が峠なんて…」と、涙ぐむ母。
油断してたら私も泣いてしまいそうだ。

電気ショックを与えて強制的に心臓の動きを整える方法もありはするのだそう。しかし、もう祖母の老体にそんな負担はかけられない。だから、もうあとは祖母の生命力を信じよう、と。それで話はまとまる。

祖母に心配をかけないよう、家族全員で祖母の前に立つことはせず、みんな交代で祖母と話をしに行く。祖母は「台風が来るみたいだから、家が心配さ~」と言う。まったく、こんな時にも祖母は祖母であるよ。

しかし、午後10時に近づく頃から祖母の脈拍数も血圧も正常値に近づいてきた。

この日は家族皆で病院に泊まり、いろんな話をする。
祖母はきっと大丈夫。


8月27日
朝、祖母の容態はかなり安定してきた。さすが過去に2度死線を越えてきただけある。大した生命力だ。
夕方には身体に繋がれる管の数もぐっと減った。


8月28日
今日の午前中で、祖母は特別処置室から相部屋の普通の病室へ引っ越し。顔色も良くなってきていて食欲もある。とりあえずは、本当に大丈夫そう。家族とも退院後のことについて話し合うようになった。
祖母は相変わらず「早く家に帰りたい」と言う。その為にもしっかり休んで、早く元気になりましょうね。ばあちゃんから聞いておきたいことは、まだまだ山のようにあるのだから。


…と、いうこの1週間でした。
人生山あり谷ありです。明日も頑張ろう。
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by kooheeee | 2011-08-29 00:58 | 祖母

久々に、祖母のいる道。

a0147023_19424522.jpg
これはお盆のナカビ(中日)の朝、久々に集落内の道を歩く祖母。
突然、「アンヤー(東隣りの家)に線香をあげに行く」と言い出し、私と母が心配しても、
「大丈夫、一人でが行く(`д´)!!」といつもの調子で言い放って家を出て行きました。

歩いて家から出るのなんてどのくらいぶりだろう?
昔は、集落内を移動中の祖母が友人たちと出会っておしゃべりしている場によく遭遇したもの。
今は伯父や叔母に連れられて月に1~2回ほど車で病院に行く以外、祖母はほとんど外出しない。

その祖母がおしゃべりしていた友人らも一人去り、二人去り。
シマにはもう、祖母の同窓生は居なくなってしまったかもしれない。
祖母が一番仲良しだったというおばあさんも、数ヶ月前に亡くなってしまった。

今回の久々の祖母の移動、盂蘭盆で帰って来た友人たちの気配を、集落の中で少しでも感じたい、という祖母の思いも多少あってのことだったかもしれません。まあ、そんな自身の切なさなどほとんど表には出そうとしない気丈な91歳(数え)の祖母ですが。


それにしても、シマの道には老婆が良く似合う。
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by kooheeee | 2011-08-18 19:59 | 祖母

石垣島東海岸の某集落からいろいろお送りします。
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